【コレクション】1825年 ジョージ4世 プルーフシリング銀貨



発行年・王朝 1825年ジョージ4世
種類(エッジ) プルーフシリング銀貨(ミルド)
グレード NGC PF65 CAMEO
希少度ランク R3(極めて希少)
入手方法 海外オークションで落札

ワイオンの代表作の一つ、CAMEO付きの唯一品

 1825年銘プルーフシリング銀貨の表面にはワイオンが彫刻したジョージ4世の新肖像、裏面には王冠の上に頭に冠を乗せたライオンが描かれている。このデザインの組み合わせは、ジョージ4世時代のコインとしてはシリング銀貨とさらに小型の6ペンス銀貨にしか採用されておらず、ワイオンが手掛けたコインを語る上では外せない名作である。ロイヤルミントミュージアムがワイオンの功績を紹介しているウェブページでも、1817年のスリーグレイセス試作クラウン銀貨や1839年のウナとライオン5ポンド金貨などと一緒に、このシリング銀貨もワイオンの代表作として紹介している。

 この1825年銘プルーフシリング銀貨は、PF65 CAMEOというグレードで、NGCでは最高鑑定、NGCとPCGSを合わせてもCAMEOがついた唯一品である。希少度ランクはR3(最新版のESCでは誤植でR7と記載されているが)、鑑定数は合計8枚(NGCが4枚、PCGSが4枚)のみである。金色のトーンが美しく、パッと見は金貨に見えるほど輝いている。

 裏面の王冠の上にライオンが描かれたデザインは、フランス人彫刻家のメルレンによって彫刻されたもので、その基本的なデザインは1825年銘のパターンシリング銀貨で初めて描かれた。パターンでは、ライオンによって銘文が途中で大きく分離されたデザインになっているが、1825年の途中から発行された流通貨では、ライオンの頭の冠部分だけ少し分離するデザインに変更されている。

1825年銘パターンシリング銀貨

 メルレンは、パリ造幣局に勤務していたが、1815年にナポレオンがワーテルローの戦いで敗れたことで自分の地位に不安を覚え、パリ造幣局を辞職するとロンドンに移住して、1820年2月からロイヤルミントに採用された。メルレンにフランスで会い、ロイヤルミントへの転職を勧誘したのがピストルッチだと言われている。ロイヤルミントでは、ピストルッチの助手としてコインの裏面のデザインを手掛けることからキャリアをスタートさせた。

 ワイオンがジョージ4世の新肖像を任されることになってからは、ワイオンが手掛けるコインの裏面を多く担当している。1826年に発行されたプルーフセットに収められたクラウン銀貨、ハーフクラウン銀貨、シリング銀貨などの裏面はすべてメルレンが制作したものだ。

 メルレンの代表作は、何といってもヴィクトリア女王「ヤングヘッド」ハーフクラウン銀貨の裏面だろう。そのデザインはソヴリン金貨にも長く採用され、今でもコレクターの間で「シールドバック」という愛称で呼ばれている。シールドバックよりも、1831年銘ウィリアム4世プルーフクラウン銀貨や、1826年銘ジョージ4世プルーフクラウン銀貨の裏面のデザインの方が好きだ、というコレクターも多いとは思うが。

 メルレンは非常に優秀な彫刻家ではあったが、フランス人ということもあり、ロイヤルミントでは非正規雇用の弱い立場だった。彼は1844年、ワイオンの息子・レナードが入局してくるのと入れ替わるようにロイヤルミントを去っている。

 このPF65 CAMEOとは別に、PR65と鑑定された同じプルーフシリング銀貨も持っている。こちらは、裸の状態で海外ディーラーから購入し、NGCに鑑定に出したもの。プルーフと鑑定された枚数は少ないが、鑑定されたコインのグレードは総じて高い。NGCで鑑定されている4枚はすべてPF65の鑑定だ。シリング銀貨のような小型コインの場合、フィールドの面積が狭くなるので、ヘアラインなどのキズが付きにくく、保存状態さえよければ高い数字になりやすいということだろう。

もう1枚のプルーフシリング銀貨

 ちなみに、このディーラーは「この個体はプルーフで間違いない。万が一、鑑定でプルーフと評価されなかった場合は、返品に応じる」と太鼓判を押してくれたので、裸の状態で買うことには不安は一切なかった。鑑定から予想通りにPF65で戻ってきたのだった。NGCでシングルファイネストとなるPF66にならないかな、とちょっとだけ夢見てはいたが。

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