【コレクション】1825年 ジョージ4世 パターンクラウン銀貨



発行年・王朝 1825年ジョージ4世
種類(エッジ) パターンクラウン銀貨(プレーン)
グレード NGC PF63
希少度ランク R3(極めて希少)
入手方法 海外オークションで落札

1826年プルーフセットのために作られたパターン(試作貨)

 1826年銘のジョージ4世が描かれたプルーフクラウン銀貨は、1826年に発行されたプルーフセットのために作られた銀貨である。実は、このプルーフセット、どのような経緯で何セット作られたのか、詳しくはわかっていない。1826年プルーフセットは、金貨4種、銀貨4種、銅貨3種の計11種類が専用のケースに収められているが、金貨4種、銀貨4種の計8種だけのケースも確認されていて、海外のオークションに80年ぶりに出品されて話題になったこともある。

1826年プルーフセット

 このプルーフセットを発行した目的には諸説ある。ジョージ4世が即位したのは1820年であるので、王位即位を記念したものにしてはタイミングが遅すぎる。その謎を解く鍵になりそうなのが、コインに描かれたジョージ4世の肖像が1823年以降に一斉に切り替えられたことである。

 当時、流通コインのデザインは、エース彫刻師が王の肖像が描かれた表面を、助手が裏面を担当するのが慣例になっていた。ジョージ4世が即位して最初に発行されたコインの表面を担当したのはピストルッチ、裏面を担当したのは彼の助手であるフランス人彫刻師のメルレンだった。エース彫刻師の座を維持していたピストルッチは、次期チーフエングレーバー(主任彫刻師)になるのではないかと目されていた。

 ところが、1823年に事件が起こる。ピストルッチが彫刻したコインの肖像が気に入らなかったジョージ4世は、彫刻家フランシス・シャントレーが作った胸像を元にした肖像に作り変えよ、とロイヤルミントに命令。ところが、ピストルッチは「他人の作品を模倣するなどもってのほか」と拒否。ピストルッチは助手のメルレンにシャントレーの胸像をベースにした肖像を彫らせて、その肖像は1823年銘の2ポンド金貨に採用されたが、その金貨は単年発行に終わった。それと並行して、流通貨を一斉に新肖像に切り替えるべく、ワイオンに試作品の制作を指示していたようだ。

 どのような経緯で1826年プルーフセットが発行されることになったのか。1825年に王室やロイヤルミント幹部への贈呈用に5ポンド金貨の試作品を作ったが、その試作品が盗難にあってしまったので、その5ポンド金貨を含めたセットを作ろうというアイデアが浮上した、という説もあるそうだ。ジョージ4世が新肖像を気に入ったので、その肖像を使った大型金貨を作って贈呈しようと思い立ったということだろうか。

 ワイオンが1824年に制作したパターンハーフクラウン銀貨の出来が素晴らしく、1825年以降、順次ワイオンが制作した肖像に切り替わっていくことになる。これはあくまでも個人的な想像だが、ワイオンの制作した新肖像をジョージ4世が非常に気に入ったので、新肖像に統一したコインを特別ケースに収めたプルーフセットを発行することになったとシンプルに考えた方が納得できるようにも思う。

 いずれにしても、1826年にプルーフセットが発行されることが決まり、金貨の一番大きいサイズとして5ポンド金貨、銀貨の一番大きいサイズとしてクラウン銀貨が新しく作られることになり、その試作貨としてワイオンが作ったのが、この1825年銘のパターンクラウン銀貨なのである。さすがワイオンというべきか、新肖像のクラウン銀貨の試作品はこれが最初なのにもかかわらず、1826年銘の完成品と見た目の違いはない。一発で完成品と同じクオリティのものを作り上げたのだ。

 1826年プルーフセットは、少し前までアンティークコイン専門家の間でも「発行数は150セット」と信じられてきた。しかし、鑑定制度が普及して、鑑定済みコインが増えるに従って、今では「400から450セットくらい作られてたのではないか」という説が有力になりつつある。これまた個人的な想像であるが、当初、ジョージ4世から承認されていたのは150セットだったかもしれないが、新肖像の評判がよかったため、追加での発行を認めたのではないだろうか。

 ワイオンは1828年に、ライバルのピストルッチを押しのけて、チーフエングレーバーの座に就いた。ロイヤルミント内の人事に国王が直接口を出したとは思えないが、新肖像がジョージ4世に大変気に入られたことと決して無関係ではなかっただろう。このクラウン銀貨が、ワイオンの出世作と言われる所以である。

 この1825年銘パターンクラウン銀貨は、私が最初の1枚である1826年銘パターンクラウン銀貨を入手した日から、ずっと探していたものである。1826年銘パターンを持っているなら、そのルーツとなる1825年銘パターンを欲しくなるのは当然である。ちょうど、海外のオークションで出品されていたので、少々価格が高いと思ったが落札に踏み切った。

 このパターンクラウン銀貨のグレードはPF63と今一つだったけど、これより高いグレードを探すとなると何年先になるかわからないので、このグレードで妥協した。妥協する気になった理由の一つは、「以前は、CGSのスラブに入っており、当時のグレードは88だった」とカタログに記載されていたことだ。CGS(現在はLCGS)はイギリスの鑑定会社で、アメリカの鑑定会社に対抗する形で、グレードは1から100の100段階評価になっている。
 イギリスのオークションでは、CGSのスラブに入ったコインをたまに見かけるが、88という高グレードのものはほとんど見ない。出品者はCGSのグレードでは国際市場で高く評価されないと悟って、いったん裸に戻してNGCに鑑定に出したようだ。で、NGCで付けられたグレードはPF63、出品者の落胆した姿が目に浮かぶようだ。(PF65が付いていたら、おそらく落札値は倍くらいになっていただろうから。)

 この話だけを聞くと、「CGSのグレードは当てにならないな」と思うかもしれないが、私はイギリスとアメリカでは鑑定で重視する基準が違うんだろうなと妙に納得した。イギリスでは、ディーラーが独自にコインのグレードを決める際には、見栄え(アイアピール)を重視すると言われている。CGSで88という高グレードを獲得したこのコインは、見栄えで大きな加点を得たのだと想像できる。将来、NGCやPCGSのグレーディングにおいて、見栄えのウェイトを増やすような動きが出れば、このコインは再鑑定に出してみようかな、とも思っている。

 1825年銘パターンクラウンでCGS88のグレードがついていたコインは、おそらくこれだけなので、検索すると簡単に2015年にイギリスのオークションに出品されたという来歴が見つかった。今はNGCのスラブに入っていて、過去のCGSでのグレードには何の意味もないけれど、こうやって来歴を辿れたことは嬉しかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です