発行年・王朝 | 1826年ジョージ4世 | ||
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種類(エッジ) | パターンクラウン銀貨(LVIII) | ||
グレード | NGC PF61 | ||
希少度ランク | R7(現存数1~2枚) | ||
入手方法 | 国内オークションで落札 |
記念すべき最初の1枚、ワイオン出世作の希少な試作貨
私がアンティークコイン投資に向けて動き出したのは、English Silver Coinage(ESC)というイギリス銀貨のカタログを購入した2021年3月のことだった。そして、投資対象をウィリアム・ワイオンが手掛けたレアな銀貨に絞り込むことを決定。そんな時に、2021年4月開催の国内オークションに、とびっきりのレアコインが出品されることを知った。
これからワイオンの手掛けた銀貨を集めていくと決めた私にとって、このコインの持つストーリーは非常に魅力的だった。当時のオークションカタログにはこう書かれていた。記念すべきアンティークコイン投資の1枚目にふさわしいと感じた私は、是が非でも落札するという決意でオークションに参加し、なんとか落札することができた。その時の感動は今でも鮮明に覚えている。
現品は1851年5月から10月にロンドンのハイドパークで開催された第一回国際博覧会に出展するために特別に製造された試作貨幣です。製作数1枚と記録されている大珍品です。ジョージ4世のクラウン貨にジョージ3世の1818年のクラウン貨で使用されたエッジ銘文「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI LVIII/繁栄と保護の治世58年目」が陰刻されています。(通常は陽刻)(原文のママ)
ワイオンはロンドン万国博覧会の記念メダルもデザインしたほか、息子のレナードと一緒に万国博覧会に自分の作品を出展した。その出展のために特別に作られたパターン(試作貨)だという。ちなみに、ワイオンは万国博覧会の終了を見届けるようにして、1851年10月29日に死去している。もし、このパターンクラウン銀貨が万国博覧会のために特別に作られた試作貨という説明が事実ならば、ワイオンの遺作に近い作品ということになる。
万国博覧会に誰が何を出展したかというカタログは残っている。ワイオンの出展リストを見ると、「ヴィクトリア女王のプルーフ、ジョージ4世およびウィリアム4世のスペシミン」と記載されている。スペシミンとは見本という意味で、プルーフとわざわざ使い分けていることから、パターン(試作貨)のことと推測できる。残念ながら、金貨なのか銀貨なのかを含めて、どんなコインを出展したかという詳細な記述はなかった。
このパターンクラウン銀貨を手にしてから、このコインが作られた経緯を詳しく調べるため、ロイヤルミントに問い合わせをして、キュレーターのチームと何度もやり取りを行った。結論を言えば、ロイヤルミントには、このパターンクラウン銀貨を製造した公式な記録は残っていなかった。当時、ワイオンなどエングレーバー(彫刻師)には、彫刻の技術を高めるためにロイヤルミントの設備を自由に使って私的な試作貨を作ることが許されていた。このパターンクラウン銀貨も、ワイオンが私的に作った試作貨の一つだろう、との見解だった。
プルーフやパターンとして現存するものの中には、エングレーバーが貴族などの顧客から依頼を受けて作ったコインも多く含まれるという。ワイオンの最高傑作ともいわれる「ウナとライオン」5ポンド金貨も、造幣局が発行した正式な通貨ではなく、ワイオンが王室の許可を得て発行したプルーフセットの中に含まれる1枚である。正式な通貨ではないので、ロイヤルミントにも何枚製造されたのかという公式の記録は残っていない。
さらに調査を進めると、このコインと同一個体と思われるコインが「マードックコレクション」に出品されていたことがわかった。マードックコレクションとは、ジョン・グローグ・マードック氏が生涯をかけて築いたイギリスコインの壮大なコレクションで、1902年に彼が死去した後、1903年から1904年にかけて計5386点が競売にかけられた。そのカタログ番号399の記述を読むと、特徴から状態に至るまで、このコインとピッタリ符合する。マードックは、1900年にPrestonからこのコインを購入したようだ。
オークションカタログには、「未発表(新発見)」と表記されている。通常の1826年銘プルーフクラウン銀貨のエッジは、「DECUS ET TUTAMEN. ANNO REGNI SEPTIMO」という銘文が陽刻(文字の部分が盛り上がっている)されており、このパターンクラウン銀貨のように、「DECUS ET TUTAMEN ANNO REGNI LVIII」が陰刻(文字の部分が掘り下げられている)された個体の存在は他に知られていなかったということだろう。
1968年にスピンクから出版されたクラウン銀貨のパターンとプルーフを専門に扱ったカタログ「English Proof and Pattern Crown-Size Pieces 1658-1960」には、このパターンクラウン銀貨がマードックコレクション以降、どのように売買されてきたかという来歴がトレースされている。1922年にNoblemanで販売された後は戦後まで姿を見せなかったが、1960年にLingfordに登場した時には、来歴として「Preston, Murdoch, Nobleman and Brand Collections」と記載されている。1922年にNoblemanで買ったのがBrand氏で、彼が38年間じっと保有していたものと思われる。
前述のカタログ(著者の2人の名前から「Linecar & Stone」と呼ばれる)には、別個体が新たに発見されたという記述はないので、少なくともカタログが発行された1968年時点ではマードックコレクションから脈々と受け継がれてきた1枚のみが知られていたということだろう。エッジの銘文が完成品と異なる点について、エラーではなく「内部資料としての試し打ちをする際に、手元の適当なエッジの金型が使われた事例だろう」と記載されている。
パターンと呼ばれるコインには、その製造目的によって、「贈呈や販売目的で作られたもの」、「デザインを検討するための試作品」、「量産前の試し打ち」に大別できる。このパターンクラウン銀貨は、1826年プルーフセットに収められるプルーフクラウン銀貨を量産する前に、エッジを陰刻にするか、陽刻にするかを決めるために試し打ちされたものの可能性が高い。
この個体がロンドンの万国博覧会に展示されたことを示すエビデンスは入手できなかったが、希少度ランクR7(現存数1~2枚)の大珍品であることには変わりない。当時はまだ鑑定制度が存在していなかったので、私の落札したパターンクラウン銀貨がマードックコレクションの来歴を持つものと同一個体であると証明することはできないが、状況証拠から、マードックコレクションの1枚と同一個体でほぼ間違いないとみている。